「英語は言葉です。言葉は道具です。」という言葉の意味を本当に理解して英語に触れている人は、どれくらいいるでしょうか。
「聞いたり読んだりした英語がわかる」というだけで、わかったことを行動に移さなければ「何も聞かなかった、何も読まなかったことと同じ」なのですが、ほとんどの英語学習者が「英語がわかる」もっと言うと「英語を日本語の意味として理解できる」がゴールになってしまっています。これは言うまでもなく学生時代の英語学習法です。受験科目としての英語との向き合い方でした。
社会人になって使える英語を身につけようとしている人たちの多くが「英語がわかる」すなわち「英語を日本語の意味として理解できる」がゴールになってしまっているのは、何とも、もったいない話です。
よく「英語が身に付いたら何をしたいか」を決めると良い、と言いますが、これは言い方を変えると「英語が身についていない」うちは何もできない、ということになってしまいます。
それよりも、興味がある英語を聞いて、読む。わかると思ったら、その通りに行動してみる。そして、わからなければ「何も聞かなかった、読まなかったことと同じ」で、ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが「せっかく時間を作って聞いた(読んだ)英語は時間の無駄だった」と認識してみる。すると今までは「今日は1時間も英語のリスニングをやった」と満足していたのが「今日1時間もかけて聞いた英語を通して学んだことは〇〇だった」に変わったとき、学習効率はグンと高まります。
この学習法で大前提になるのは、今までの「英語を日本語の意味で理解できる」というゴール設定をまず、「英語を英語のまま取り込もうとする脳の働き」を育てながら、「興味がある英語」を聞いたり読んだりすることです。言い方を変えると、聞いたり読んだりする英語を「自分で選ぶ」ということ。人から与えられた英語を「日本語でどれくらい理解できるか」をどれだけ重ねても「自分で使える英語」にはなりません。
「英語を英語のまま取り込もうとする脳の働き」を育てながら、聞いたり読んだりする英語を「自分で選ぶ」こと。わかると思ったら、その通りに行動してみる。そして、わからなければ「何も聞かなかった、読まなかったことと同じ」で「せっかく時間を作って聞いた(読んだ)英語は時間の無駄だった」と認識してみる。すると自分にとって必要な英語を選ぶ目と耳が育ってきます。ここまでくれば、もはや英語は学習の対象から道具としての言葉になるのです。
「英語は言葉です。言葉は道具です。」という言葉の意味を本当に理解できたことになるのです。
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